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終わりよければ全てよし

ちょっとだけ文章を書くのが好きなオタクのポエム張です。

全然大丈夫じゃなかった

私大丈夫になったつもりでいたけど、もしかしてまだ全然大丈夫ではないな。と、向かいのホームの女の子たちが見ている先輩から回ってきたという画像が私かもしれないという不安が妄想だと気づいた時に思った。

ぼくは街中を歩けば、若い女性のかしましい笑い声が恐ろしくて恐ろしくて仕方がないのだが、しかもその娘らと目が合う確率が高い。なんならそのまま笑われる。
ねえ、病人の妄言と言うかもしれないけれど、でも、そうなのだ。

けれそ、おそらくそれは。
僕が異様に俯いて歩いていたり、その癖異様な目付きで向かいから歩いてきた人の顔色を窺うからであったり。
僕が、若い女性の笑い声を聞くと、恐ろしくて、そちらをじっと見てしまうからだ。僕のことを僕の感知せぬ場所から嘲笑っているのではないかと、その顔つき動き目付きが異様だから、きっと、他人はぼくを見て笑うのだ。
それか、ぼくはあまりにも普通の振る舞い普通の服装を知らないから、おかしな人になっているに違いない。

ねえそれでも、それが真実が妄想であるかは、ぼくにはあまり関係がないのだ。




その恐れそのものが-最初に抱いたその疑念が真実であるように嵌り込んでしまうことが、その妄想を妄想だと一瞬どころかずっとずっと気づけないことが問題なのだ。
最初に抱いた一番僕が恐れている疑念を、僕は真実として思考し行動してしまう。僕は僕が嫌いだ。おぞましい。
だからこそ、僕は他人から与えられる不名誉を信じている。重んじる。僕ほど信用できない奴は僕は僕の親類くらいしか知らないし、他者は僕よりまともであるという時点僕よりはるかに正しい人間だ。そこになんの間違いがあろうことか。
傷つけられた時の手痛い癒えることのない痛みを知っているから、何よりも他人を傷つける自身を許せない。次に他人に自分の正義をぶつけてすっきりしようとする人間を殺したい。

だから諦めたのだ。恐れたから。
失望するまでもないのに、これは不義理なのだと、自ら手放したのだと放棄した。逃げた耐えられなかった。
耐えられない、というのは免罪符ではない。僕はぼくをそうして追い詰めてこれまで来た。生きた。

晶華できずとぐろを巻きうねる殺意はやがてそれを押し込める器へと向かった。それは当然の回帰。そうして僕は僕を何回でも殺した。

これは心の問題なのか、体の問題なのか。家庭の問題か。
ぼくにはわからない。
けれどその歪んだ自己認識のゆらぎと止水の中、湧き上がった希望なのか期待なのか、都合の悪い真実かは、もしかしたら心配されているかもしれない、という不思議だった。僕の世界にそんなパターン?は存在せず、僕は怠け者の迷惑の種、不愉快で汚くて臭い女であり、なにかやれば冷たく突き放されるのが正しい姿だった。
けれど、もしもそんなぼくを心配してくれていたら、ぼくは一体どうすればいいのだろうか。

僕は汚くて気持ち悪い頭のおかしな女だけれど、なればそれが僕なのだ。
しかたが、ないのだ。
僕はそうした僕を受け入れなければならないのだ。

誰かとただ喋りたい。
お茶を飲んで、わずかに何か胃を満たして。
まだ日光と戯れたりはできない。誰かに抱きしめられて眠りたいのだと、我がままも言わない。
体を苛む寂しさはそのままでいい。頭も痛くて胃が痛んでもいい。
ただそこに居るあなたと話がしたい。
そこにいるぼくでいたい。今までクソみたいに生きてきた、ゴミクズみたいなぼくでいたい。


今までパニックっていうのはもっと激しくて苦しいものなのだと思っていた。だからぼくのこれは、そんな大層なものではない甘えだと心から信じていた。でもいくらなんでも、街中で突然その場で眠りたいほど力が抜けたり、どうしていいかわからないほど狼狽えたり、思考停止して家路つくのが困難になって脚を動かせば吐き気がするなんて、異常だ、とおそらく、そう思う。違うのかもしれない。

電車の向かいのホーム女性の話し声を拾ったり、その話の内容を疑いなく自分だと信じ込むのは異常だ。
飲食店で近くの人の話し声に耳をそばだてていないと、ぼくを気持ち悪く思っているのではないかと恐ろしく不安耐えられないのは異常だ。
こわいんだ。身なりを整えることにそれだけでクタクタに疲れる。元が気持ち悪い品性のない汚い女ではなんとかせねばならない。
近所キッズはきっと僕のことを気狂いのニートだと軽蔑している違いない。
ぼくは何故みんながそんな平気に生きられるかも、何故僕のような汚い気持ち悪い人間を軽蔑しないことがあるのかもわからない。遠いどこかから帰ってこられない。頭に足りない、気持ち悪い生き物。

怖くて自ら死ぬことができないのだけは確かだ。がんばったけどダメだった。ならばどうにかしてどうにかするしかない。
みんなが20年という経験値と多様な装備を固めているのに関わらず、私はひのきの棒のレペル5で冒険を続けなければならない。ゲームならそんなものは詰み、みんなリセットするだろう。ゲームならあんなにいくらでもリセットできるのに、現実は電源を落とせない。

僕が僕に耐えられなくても、大丈夫、僕が最初から居なかったことにすればいい。そうすれば耐えられる。それで私は何人もぼくを殺してきた。
けど、そうじゃなくて、そうではなくて。
少しずつでもわずかでも馬鹿馬鹿しくても私を褒めやう。小さくてくだらない成功体験を重ねよう。
日々を残して、ぼくのどこが悪いのか確かめよう。

そうでなきゃ、ただひたすら迷惑をかけただけだ。
迷惑をかけるだけ、穀潰しのフリーター、その親すら憎む生産性のカケラもない私。そんなものに生きてる意味なんてない。
けれどそれが私なのだ。

「がんばります」というのはそうして壊れるわけではなく、最初から何も無いのだ。
それ以外に選択肢がなく、なんなら無理の末に破滅を願うからそう言うのだ。
生産性のない奴が生産性のないことをやっていてもしょうがないから。

ならば、ゴミクズみたいな自分ともう少し付き合っていこう。
おかしくて、異常な私を、そうであることを許そう。その上で、やるべきことをしよう。
ゴミクズのまま笑って歌って食べて眠ろう。
20年かけて、20年のその先にいる私を諦めよう。
どこからもやりなおすことはできないから。


電車の乗り込み口で先立った髪をきれいに整えた女の子のポニーテールを真っ青なリボンが飾っていた。生きようと思った。
そうして、泣きたくなった。