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終わりよければ全てよし

ちょっとだけ文章を書くのが好きなオタクのポエム張です。

ただいま

今日、ライブだった訳ですよ。さいたまでも豊洲でもなく九段下の。

ゆうてもぼくはにわかもいいとこでして。ここ2、3年からですよちゃんと好きになって追いかけたのは。勿論その前から好きでしたけどね、世代ですし。
でもまあぼくはこの9年間のその人を知らない。当然それ以前の彼も知らない

だからね、彼の人がぼくたちに対してありがとうって言ってくれても、でもぼくはあなたに何もしていない、この言葉はもっと別の人のものだ、とても嬉しくてくすぐったくて涙が出そうだけど、この言葉はぼくが受け取っていいものじゃない、そう思えてしまう。

でもまあ、それでもえんやこらさっさと行く訳ですよ。自分の薄っぺらさを恥じながら。
人が多ければえずき、女の子たちの笑い声と視線に怯えながら。




髪をね巻いてみる訳です、結局ひとまとめにしましたけど
お化粧をねしてみる訳です、本を睨みながら
でもそんでもぼくは「ププッ、あのキモ女気合い入れちゃってるよ気持ち悪ぃ〜」「うわーあの人ないわー」って言われるんじゃないかって恐くて仕方ないんです。
なんなら、ぼくの顔写真がここら一帯の若い人に出回ってて嘲笑されていて、だからすれ違う女性はぼくのことを見て笑うのだと思って、いつも出掛けてるんです。
大丈夫、わかってますよ、妄想だって いや実際そうなのかもしれませんけど、いや客観的に見てこれが被害妄想なのはわかってますよ、でもあの時のあの娘たちがあの時撮ってた写真をバラ撒いて笑い者にしているかもしれない、大丈夫わかってます、私は頭がおかしいんだって、思い込みだって、ほら本当に狂ってる人は頭がおかしい自覚がないって言うじゃないですか、だから私は大丈夫です 大丈夫だって言ってるじゃないですか!


ちがいます、そうじゃなくて、えっとだから今日も思った訳です、この後ろの女の子たちはぼくを見つけて笑っているのではないかと。
ぼくは、ぼくのネット上での言動が何かやらかして、他の方から疎まれているのではないか?そう思った訳です。
でもここに居る人が悪い人のはずがない、なら義があちらにあるなら、悪いのは私、そうでしょう?

だから、まあ、その、大変失礼だとはわかっているのですが、引きずっていた訳です。モヤモヤと

でも会場の空気を吸えば、心がこの場所に染められていく
そして、あの方の力強い歌声が脳からそんなものを追い出してくれる

そうして、また彼のありがとうを聞いて、そして幸せになって帰路についた訳です。
また後ろを歩く女性たちの笑い声に怯えて、そこでふと気がつきました。

いつも使わないバッグを持ち、2日前に買ったコートを着て、いつもと違う髪型をしている。なんなら、メイクも。
これで私だと気づく人間はまず居ないのでは?
もしこの方たちが私を笑っているのだとして、服はコートで隠れていて毛先も巻いている。ポニテは少しおかしいかもしれないが、批難される程ではないはずだ。化粧もそこまで派手ではない。
あれ?今日の私、ちゃんとしているのでは?大丈夫なのではないか?


いつもはね、今日は頑張ったし、そんな他人の格好を嘲笑う人間など居たらクズだ!って思うんです。
でもそれは結局、自分の格好に自信がないからなんですよ。攻撃されることを恐れている、恐れから逃れられていない、だから余計に、その恐れを否定しようとすればするほど思い込みと恐怖は強固になっていく。
でも、今日は、大丈夫だ、と思えたのです。
それは強く言い聞かせるでもなく、するりと自分の中に入ってきました。

そうして思えば、あのカップルの男の人は目が合ったけれどぼくが変だから見ていた訳ではないのでは?
この笑い声を上げている女性は、あまりの滑稽さに声をあげたのではなく、隣の男性と彼らの話をしていただけでは?
あのこちらの方に眼差しを向けている女性は、隣に腰掛けた方と話すために考えているからぼんやりとこちらに視線を漂わせているだけなのでは?
この距離が私と近い御夫婦は、笑っているのは私を見てではなく、上の吊革広告を見ているのでは?
周りを見てみればみな、彼らの話をしている。そんな、ずっと言い聞かせ続けても猜疑心を捨てられなかった当たり前が私にも認識できて

でもそれは、私自身に冷静な判断力が戻って、その上で身なりをちゃんとしようと努力したから、だって。

それでもやっぱり心に残った恐怖はあるし、きっとこんなものは吹けば飛ぶような自信なのだろうけど。
楽しかった残滓がハイテンションにさせてるだけなんだろうけど。
明日にはまた、怯えながら己を責めながら生きていかなくちゃいけないんだろうけど。

それでも嬉しかったから。辛くなかったから。それが幸せだったから
いつか、10年先も生きていくなら、今日のこの嬉しさを覚えていたいって、そう思ったんです


こんなのは、本当に当たり前で今更な話だけれど。
けれど私のこのビョーキをはっきりと自覚したのが小学2年生だから、7歳。それから、13年。他人は、見知らぬ他人は、私のことを見て、見ただけでは笑わないのだと、気持ち悪いと思わないのだと、確信できるまで13年かかった。

いつだって私は世間とズレていて、気持ちが悪くて、汚くて、疎外感を感じていて、でもそんな厨二病は甘えているだけだから、私は恥ずかしい人間なのだと、罵られ嘲笑われても仕方ないのだと、ずっとそう思っていた。それは真実で事実だった。

でも、ほんの一瞬でも、私はこの世界に生きていていても良いのかもしれないと、そう思えて。

だから、やっぱり、どうしても、明日もこれからもずっとこんな想いが続きますようにと、怯えずに毎日生きられますようにと、無駄とわかっていても祈らずにはいられないのです。